泊まってみたいな海外ホテル
新婚旅行でハワイに一度だけ行った。その後、海外に行くことは全くなかった。親戚が、ロスにいる。久々に「泊まってみたいな海外ホテル」誰にも言えないので独り言を言ってみた。どんな感じなんだろう。食べ物に関して、私日本食が好きなので海外の物は口に合うのか不安だ。「泊まってみたいな海外ホテル」口癖に小銭を貯金しよ。
国内旅行でホテルに泊まる際は勿論ですが、海外を旅行する際に泊まる海外ホテルも、非常に趣深い所があります。リゾートホテルのような海外ホテルに泊まったことはほとんど無いのですが、以前宿泊した海外ホテルでは手動でドアを開け閉めする古いエレベーターが現役で利用していたり、また別のホテルでは天蓋つきのベッドがあったりと、ホテルにおいても文化の違いを知る一つのきっかけがあるような気がします。
「メンフィス」はとても自然に始まったのです――バルバラ・ラディーチェ・ソットサス
エットレ・ソットサス氏が亡くなるまでの33年間、彼の活動を一番近くで見守り、一緒に活動してきたパートナー、バルバラ・ラディーチェ・ソットサス氏。最も近くにいた人の1人として、お話を聞いた。
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――倉俣史朗さんとエットレ・ソットサスさんはとても深い友情に結ばれていたようですね。当時の2人の交流がどのような感じだったのか教えてください。
エットレに連れられて初めて来日したときから、私たちはいつも、倉俣史朗さんとご一緒していました。ただ歩いたり、ショッピングをしたり、大勢の人たちと会ったり、倉俣さんが手がけたレストランで食事をしたり、お酒を飲んだり…… 長い時間を一緒に過ごしました。
当時、何の話をしていたかはあまり覚えていません。もしかしたら飲み過ぎていたのかもしれませんし、もしくは楽しすぎて覚えていないのかもしれません。みなさんもご経験があるかと思いますが、とても嬉しく満足しているときは、その理由を探そうとはしないんですね。振り返ってみても、ただそこに座っているだけで、幸せに満ち足りた状態でいるというようなことだったと思います。
このような幸せな状態でいるときには、いろんなことが自然に始まるんですね。その1つが、1981年に始まった「メンフィス」だったのです。私たちは戦略や概念の話は一切しませんでした。つねに、今、何をやらなければいけないのか、次回の展覧会はどうするのか、家具のドローイングはいつまでに準備できるのか、どういう写真を撮ればよいのか、そして次回はいつ会うか――そういった話しかしませんでした。
――今回の展覧会で世界初公開となった「カチナ」についてお伺いします。ソットサス氏がカチナを描いたのには、何か理由があったのでしょうか。
2004年の夏にシシリー島の別荘に滞在しているときに、彼はとても小さなスケッチブックにカチナを描いていました。そのスケッチをひと目見て私は気に入ってしまって、それをほしいと彼にいったんですね。彼は快く、私にプレゼントしてくれました。
カチナは、ネイティブアメリカンが信仰する守り神のような存在。カチナは、2本、足があるとしたら、1本の足は現在の世界、もう1本の足は未知なる世界にあるというようなものだそうです。つねに未知なる世界に対して意識を持っていたほうが、ある日突然、未知なる世界に行ってしまったときに気持ちの準備になるのではないかと、彼にはそういう思いもあったのかもしれません。
彼がなぜカチナを描いたのかは私には分かりませんけれども、彼は晩年「デザインの力とは何であるか」ということをよく問いかけていました。デザインというのは、素晴らしいアイデアであるとともに、幸運を招くべきだというものだと考えていたんですね。カチナが幸運を招くと考えていたのかもしれません。
――エットレ・ソットサス氏のキャリアはたいへん長く、その作品も実に多岐にわたります。彼はデザイナーであり建築家でもあるわけですが、その軌跡を追ってみると、「アーティスト」という言葉がいちばん相応しいように感じます。
33年間エットレと一緒に暮らしておりましたので、正確にいえると思うのですが、彼は「アーティストだ」と自分がいわれるたびに激怒していたんですね。「私は建築家である」と、そのようにいっていました。
実際、彼はいつも建築を意識して創作活動をしていました。彼は1940年代後半から活動を始めたわけですが、当時は資金がほとんどなく、建築事務所を維持するにも難しい状況でした。そんなときにオリベッティからのオファーがあり、それを受けたわけですが、エットレはつねに建築家になりたかったんだと思います。
家具をデザインするときも、つねに建築の中でどう使われるというかを意識してつくっていました。そういう観点で彼の作品を見ると、どの作品もつねに同じアプローチを感じます。
ちなみに、彼はいつも最先端のデザインをしてしまったがために、あまり売れなかったのかもしれません。みなさんご存じの、オリベッティの真っ赤なポータブルタイプライター『バレンタイン』は、当時そんなには売れず、すぐにコレクターズアイテムになってしまったんですから。実際には彼はアーティストだったと、私も思います。
――最後に、エットレ・ソットサス氏がどういう方だったのかを教えてください。
とても優しく、パワフルで強い、力みなぎる人間でした。彼は人生を楽しんでいて好奇心旺盛で、つねにいろんなことに興味を持っていました。そして、仕事が大好きで、仕事がないときは少しナーバスでしたね。食べることも飲むこともセックスすることも大好きな、本当にパワフルで魅力的な人間でした。
●PROFILE:バルバラ・ラディーチェ・ソットサス
ライター。エットレ・ソットサス氏(1917〜2007年)の長年のパートナー。30年以上にわたって公私ともにエットレ・ソットサス氏の活動をサポートしてきた。自身も「メンフィス」運動に加わった後、エットレ・ソットサス氏が立ち上げた建築雑誌『TERRAZZO』の編集にたずさわる。
【草野恵子,エキサイトイズム】
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